ご苦労様でした、鹿島鉄道。
2007年03月
国鉄の「名車」のひとつですね。
例外もありましたが、その殆どが東海道、山陽の2大幹線とその周辺線区で
一生涯を過ごし消えていきました。
写真は田町電車区配置の車両ですがここのクルマは新幹線開業前から伊豆方面への
行楽列車と東海道線東京-沼津間のローカル輸送にほぼ徹したようです。
上 大井町にて
下 川崎にて
いずれも引退間近な1981年です。
例外もありましたが、その殆どが東海道、山陽の2大幹線とその周辺線区で
一生涯を過ごし消えていきました。
写真は田町電車区配置の車両ですがここのクルマは新幹線開業前から伊豆方面への
行楽列車と東海道線東京-沼津間のローカル輸送にほぼ徹したようです。
上 大井町にて
下 川崎にて
いずれも引退間近な1981年です。
日本国有鉄道(JNR)が終焉を迎えてから丁度20年、つい先日まで国鉄、とか国電という
名称を使っていた気がするのにすっかり「じぇいあーる」という表現に慣れてしまい
昨日のように思いながらすっかり国鉄の時代は遠くなってしまったのだなぁと思います。
それだけ、齢取ったという事ですね。全然頭の中身や思考は進歩していませんが(汗)
20年経って、九州行き寝台特急に象徴されるように本当の意味での長距離列車は
減少し、ローカル列車も会社境界での乗り継ぎが当たり前のようになり
レールのネットワークは維持されているとしても経営体は別になったのだと
感じさせられる事が大きくなりました(貨物は別として)。それは他の交通機関との
競合や或いは新幹線の高速化も絡みやむ得ない面は大きいとは思いますが、
一方では運用の効率化や車両使用料といった要因もあるのでしょう。
国鉄解体の原因など、硬い話は置いておき(というより出来ません...)
私は20年前のこの日当時の職場が近かったこともあり東京駅へ「旅立ちJR西日本号」
だったかな、12系客車と最後尾に復活を遂げた展望車マイテ49を連ねた列車を
見に行ってました。すごい人出の中カメラも持っていたはずなのですが撮ったか
どうか、憶えていません。一応展望車あたりにいたのですが気がつけば発車したあと、
みたいな感じでした(笑)山手線や中央線など国電区間の電車には
「さよならJNR」のヘッドマークがついた列車がありました。
国鉄最後の乗車区間は東京-横浜を113系で、横浜から
東神奈川乗継で横浜線の終電で帰ったのが最後でした(日付は変わっていましたが)
まだ当然103系の時代です。すでに横浜駅の券売機の表示が「JR」に変わっていました。
この日の昼間、外回りの途中で乗入先の地下鉄千代田線内でしたが国鉄最後の新形式車の
ひとつであった207系(900番台)電車に初めて見て乗ったことを憶えています。確か写真で
見た際貼られていたJNRのマークのはがしあとが生々しく残っていて、それを
見ただけでも国鉄は今日で終わりなのだな、と妙に感慨を抱いた瞬間でした。
‐緻遽悗砲
◆∥膾絮悗砲
マイテ49(展示会か何かで偶然遭遇)大阪駅にて
1987-3 (3枚共)
名称を使っていた気がするのにすっかり「じぇいあーる」という表現に慣れてしまい
昨日のように思いながらすっかり国鉄の時代は遠くなってしまったのだなぁと思います。
それだけ、齢取ったという事ですね。全然頭の中身や思考は進歩していませんが(汗)
20年経って、九州行き寝台特急に象徴されるように本当の意味での長距離列車は
減少し、ローカル列車も会社境界での乗り継ぎが当たり前のようになり
レールのネットワークは維持されているとしても経営体は別になったのだと
感じさせられる事が大きくなりました(貨物は別として)。それは他の交通機関との
競合や或いは新幹線の高速化も絡みやむ得ない面は大きいとは思いますが、
一方では運用の効率化や車両使用料といった要因もあるのでしょう。
国鉄解体の原因など、硬い話は置いておき(というより出来ません...)
私は20年前のこの日当時の職場が近かったこともあり東京駅へ「旅立ちJR西日本号」
だったかな、12系客車と最後尾に復活を遂げた展望車マイテ49を連ねた列車を
見に行ってました。すごい人出の中カメラも持っていたはずなのですが撮ったか
どうか、憶えていません。一応展望車あたりにいたのですが気がつけば発車したあと、
みたいな感じでした(笑)山手線や中央線など国電区間の電車には
「さよならJNR」のヘッドマークがついた列車がありました。
国鉄最後の乗車区間は東京-横浜を113系で、横浜から
東神奈川乗継で横浜線の終電で帰ったのが最後でした(日付は変わっていましたが)
まだ当然103系の時代です。すでに横浜駅の券売機の表示が「JR」に変わっていました。
この日の昼間、外回りの途中で乗入先の地下鉄千代田線内でしたが国鉄最後の新形式車の
ひとつであった207系(900番台)電車に初めて見て乗ったことを憶えています。確か写真で
見た際貼られていたJNRのマークのはがしあとが生々しく残っていて、それを
見ただけでも国鉄は今日で終わりなのだな、と妙に感慨を抱いた瞬間でした。
‐緻遽悗砲
◆∥膾絮悗砲
マイテ49(展示会か何かで偶然遭遇)大阪駅にて
1987-3 (3枚共)
機が熟すれば矢の如く満開となり。
終幕を悟れば潔く散る....
1年の節目節目で、
「今年も、無事にこの季節の到来を肌で感じることが出来た....」
「来年も、元気で迎えられることを願う....」
こんな思いを巡らせるなかで、「桜の季節」はもっとも強くその
想いを感じるような気がします。
未だ考えるには早いと信じていますが、時に「生涯で、あと何回、いや何十回この
季節の到来を迎えることが出来るのだろうか....」と考えを巡らせることがあります。
来年の、桜の季節も元気で迎えられるように。
もし、それが許されないとしたら、この光景を脳裡深く刻み込めるように。
そして、生まれ来て後を託す者に伝え継いでゆけることを。
終幕を悟れば潔く散る....
1年の節目節目で、
「今年も、無事にこの季節の到来を肌で感じることが出来た....」
「来年も、元気で迎えられることを願う....」
こんな思いを巡らせるなかで、「桜の季節」はもっとも強くその
想いを感じるような気がします。
未だ考えるには早いと信じていますが、時に「生涯で、あと何回、いや何十回この
季節の到来を迎えることが出来るのだろうか....」と考えを巡らせることがあります。
来年の、桜の季節も元気で迎えられるように。
もし、それが許されないとしたら、この光景を脳裡深く刻み込めるように。
そして、生まれ来て後を託す者に伝え継いでゆけることを。
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