moon express

拙い画像ですが、無断転載禁止。Yahoo!で2007年1月より2019年5月まで運営してきたブログを移動させました。 こちらでの更新は原則行っておりませんのでリンク集SilenceExpressより お越し頂ければ幸いです。

2014年01月

1/19「成田山初詣横須賀号」 ① 

1月も末になって、初詣列車の記事とはいかに・・・ではありますが
1月19日、今年も臨時快速列車を利用し、成田山への初詣へ行ってきました。

2008年から毎年のように臨時列車を利用して行ってますが、一昨年を除き183・189系であったものが、今年からは185系に変更となりました。
正直、見慣れた車両にてやや”有難味”が減ったように思いつつも、貴重になってきたモーターのサウンドを楽しみつつの小旅行でした。


先ず、大宮から横須賀への送り込み回送を北鎌倉にて。
ややとび気味の画像になってしまいましたが・・・
イメージ 1


この日は、横須賀から成田へは団体扱いの列車がもう1本。
485系「宴」
イメージ 2



大船から乗車します。グリーン車を抜いて、6両編成の
基本的には波動用となった200番台「B4」編成です。
「臨時快速」表示でした。
イメージ 3


・・・このあと、戸塚・横浜・武蔵小杉と客扱いを行い
武蔵小杉発車後は「成田まで止まりません」とのアナウンス。
とは言え、実際は、東京駅で乗務員交代とN'EX先発の為に運転停車。

かつての113系を偲びつつ、総武快速線を快走した後
千葉にて時間調整?で暫し停車。
イメージ 4


・・・以下は”イメージ画像”です(^^;

1月7日に物井~佐倉間にて撮影した185系。
(この日は伊東発の「成田山初詣伊東号」でした)
イメージ 5


佐倉では後続N'EXを、さらに成田の一つ手前の酒々井では
中線に入って、E217系「エアポート成田」までに抜かれてしまいました。
画像は、1月7日酒々井駅で昼間に回送留置の185系を撮ったものですが、
このような光景だったのでしょう。
イメージ 6


酒々井では15分あまりの運転停車の後、成田駅へと向かいました。

(以下続きます)

富嶽夕景 ~七里ヶ浜より~ (2013.12)

イメージ 1


江ノ島電鉄 腰越~鎌倉高校前  2013.12.24

間もなく、新しい顔へ。

ちょうど四半世紀前、時はバブル真っ只中
元号が「昭和」から「平成」に移り変わる頃・・・

それまで中古の寄せ集めのイメージが残っていた横浜線に
首都圏では山手線に次いで、颯爽とデビューした205系。
先輩の京浜東北線を差し置いての、”快挙”とも言えたかも知れません。

とは言え、”国電”の名残を感じた205系。
先輩の京浜東北線は、国電と決別する如きの次世代形を2代続けて
走らせ(※注)いつしか横浜線の205系もベテランに差し掛かる年代と
なりました。

その横浜線にも、最早新世代というよりは現代のスタンダードとなった
顔がやってくることとなりました。
間もなく、その日はやって来ます・・・

イメージ 1


横浜にて 2014.1.25

(※注・・・平成2年頃~8年まで、205系の運用実績あり)

鶴見線 ”世代交代”の頃 (1980年1月)

1980年代に入った直後の1月、首都圏から最後の72・73形電車が鶴見線から
身を退きました。

首都圏の国電区間で”新性能電車”101系に追われ続けた
73形電車最後の”交代劇”であったと言えるでしょう。
既に34年前の事になります。




クハ79とクハ101の並び。
製造(改造)年次にによってそのスタイルが洗練されて行ったと
思いますが、このクハ79は既に101系へと継承される顔を持っていました。
背後に広がる、東芝工場の”Toshiba”ロゴが懐かしいですね。
イメージ 1


近代化改造されたクモハ73
引退を前に私が訪問したとき、73形は1編成しか稼動しておらず
落胆した記憶があります。
イメージ 2



中央・総武緩行線から回ってきた101系。
前任地では、ややくたびれた印象が強くなっていたカナリアイエローの
101系も、工場地帯主体の鶴見線には”彩り”をもたらした存在と言えたのかも
知れません。
イメージ 3



鶴見線 新芝浦にて 1980年1月

EF15 126号機@拝島 (1980年頃?)

1月26日、EF15 126号機をアップしたいと思います。

1980年頃青梅線拝島駅にて、奥多摩からの石灰石列車を牽いて(ED16から継走?)
待機している様子です。南武線の西国立駅に隣接していた立川機関区に
当時は配属されていたとのことです。
隣に待機するタンク車は米軍関係でしょうか?当時のタンク車は
平台にタンクを乗っけたようなスタイルだったですね、気になる存在です。

当時は八高線のDD51貨物も在って、拝島駅はいつも何らかの貨物列車が発着して
構内には貨車が並んでいたように思います。

イメージ 1


旅客車両と言えば、青梅・五日市線は73形やクモハ40は消え去って
京浜東北や山手線から流れてきた非冷房103系に、中央快速から乗入れてきた
101系が主力でした。
機関車背後の八高線ホームには、首都圏色化が完了したキハ35系列に、
たまにキハ20や40がお供をしている光景が見られたものです。

いまの拝島駅は、車両もですが”エキナカ”なども出来たそうで
随分変化したことでしょう・・・
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Sin

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