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国鉄時代は、全国的に10月1日にダイヤ改正が多かったですね。
後に語り継がれる列車や車両のデビューも、サンロクトウ、ヨンサントウといった
ダイヤ改正の時がきっかけだったように思います。東海道新幹線の開業日(昭和39年)も、そして
最近ブログに再三登場してもらう781系「ライラック」(昭和55年)もそうでした。

改正があれば、消える列車が必ずある。そんな意味でダイヤ改正前の9月、というのは
何処か落ち着かない日々?であったように感じられたものでした。

JR後、全国規模の改正(改定?改悪???)は少なくなり、会社毎や地域ごとの
施行が多くなって、あまりこの時期を意識しなくなったように思いますが。。。

10年前の9月30日は、翌日の新幹線開業で消える「あさま」「白山」、、いや列車だけでない、
信越本線横川-軽井沢廃止と、軽井沢-篠ノ井間しなの鉄道移管を控えた日でありました。
この頃は、鉄道からは遠ざかり気味でしたが、それでも一時期よく利用した
「あさま」の最後の姿を見て、乗っておきたくて189系あさまで長野へ行き、
帰路は最終一本前の489系「あさま」のグリーンを奮発して帰ってきました。
あの時の上野、横川、軽井沢、長野の喧噪は今さら私が語るには及びませんが.....


長野から一旦上田へ普通電車で往復しましたが、JRとして最後の区間は駅名票の
取り替えなど盛んに行われていましたが、ローカル115系の車内は普段と変わらず、淡々と
地元のお客さんを乗せて走っていたのが印象的でした。

余談ながら、この日は当時の営団地下鉄南北線四谷-溜池山王開業日でもあり、
私はこの区間に初乗りしてから上野に向かい「あさま」に乗りました。
歴史の終わりと始まりが同時に体験出来た、たった1日限りの出来事でもありましたが。

その日は色々写真は撮ってあったのですが、またいつかアップしたいと思います。

別時期に撮影したものですが、489系「あさま」です(「白山」「能登」間合い)。
最後に同列車に乗った編成(同一編成でないと思いますが)でした。
このカラーは、ボンネットには微妙でしたね......(苦笑)

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115系高崎線快速「アーバン」と。

高崎駅にて 1996年1月頃撮影