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新大阪にて 1988年3月

東海道を大阪迄、583系が往復しました。
今朝は起きられず、見にも行けず仕舞いでしたが・・・

全盛時代を含め、名古屋以東実現しなかった”東海道の583系”
最小限の両数になった、いまになって”頻繁に”実現するようになったのは少々皮肉にも思います。

今更私が書くことでもないとは思いますが、国鉄末期の頃(60・3改正)
寝台急行「銀河」に583系を転用する案が具体化しており、幕も用意されていたとのこと。
実現しなかったのは、時折行われていたマニ30の併結運用が不可能になるという
理由もあったそうです。
もし「銀河」が583系になっていたら、近年まで日々東海道を上下する姿を
見ることができたのかも知れません(オリジナルの装いだったかは別ですが・・・)。

結局、既に九州運用を失っていた583系は当時「雷鳥」「立山」に活路を見出していた
北陸本線「きたぐに」に転用され、四半世紀以上運用されました(「きたぐに」の14系寝台を「銀河」に転用)。

間合いを利用した、新潟~酒田間の臨時急行などにも運用されていた時期もあったかと思います。
これまた”もし”ですが・・・「銀河」運用の583系も田町での昼寝時間を利用して
伊豆方面への臨時列車など、運用されることがあったかも知れないですね。
近年伊東まで入る臨時運用などを見て、ふと思ったことです。


画像はJR発足から1年近く経った頃、長岡~新大阪で乗車できた「きたぐに」です。
この時は、「きたぐに」乗りたさに上越新幹線で長岡まで行き、そして
「きたぐに」の後は山陽新幹線で岡山そして四国へ、という行程でした。

あの頃は未だ、オリジナルの装い。
私は乗った編成は、西日本地区では少数派(2両)だったクハネ583が先頭でした。