「都営1号線」の時代から、長く京浜急行・京成の両線への直通にも幅広く運用されていた
都営地下鉄浅草線の5000形。
1995年に退いてから、もう20年以上の年月が流れました。

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1981(昭和56)年頃、京浜川崎(現:京急川崎)駅での5000形です。引き上げ線から入線するところ。
当時を含め長らく、この5000形や5200形の運用で
京成小岩や高砂から都営線を介して、川崎までの急行列車(急行運転は品川~川崎)が
20分ヘッドで運行されていました。
現在は羽田へ向かう、「エアポート快特」「エアポート急行」の前身といえる列車でした。

長年都営は(営団もですが)冷房車を認めなかったことに加え
5000形は確か構造上の理由もあったと聞きますが、車体更新は行っても最後まで
冷房搭載がありませんでした。
後年、私が一時期勤めた会社でよく東銀座~京急蒲田の間を利用する機会があったのですが
夏場に「急行川崎ゆき」は、なるべく避けるようにしていた記憶があります(苦笑

末期には、千葉ニュータウンや羽田(現在の天空橋)にも乗入れるようになったのも束の間
現在の5300形に道を譲って引退していきました。

再掲ですが、上記画像の続きです。
京急(旧)1000形の快特と共に。
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懇意にして頂いている、ショッポーさんが都営5000形の精緻なイラストと
川崎行き急行の思い出の記事を書いておられましたので、私も便乗させて頂きました^^;